認知症患者への漢方の症例を紹介し中医学的に考察

1. はじめに

認知症、特にアルツハイマー型認知症では、記憶障害だけでなく抑うつ・不安・興奮など多彩なBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)が患者・介護者双方の負担を増大させます。西洋薬だけでは対処しきれない精神・身体両面の不調に対し、漢方薬が果たす役割は大きく、実際に有効例も報告されています。本稿では、J-Stageに報告されたある一例¹をもとに、当該症例の経過と中医学的パターン診断、処方選択の反省点・改善案を整理し、認知症患者における漢方運用の示唆をまとめます。

2. 症例概要

  • 患者背景:高齢アルツハイマー型認知症(MCI期~中等度)
  • 初期処方:当帰芍薬散単独
  • 主訴の推移:
    1. 抑うつ・アパシー=当帰芍薬散で軽減
    2. 不眠・心神不安=加味帰脾湯+ガランタミンで対応
    3. イライラ・のぼせ=抑肝散+ガランタミンに切替
    4. 倦怠・食欲不振・臥床傾向=補中益気湯+ガランタミンで劇的改善
  • 併用西薬:ガランタミン(第2フェーズ以降に併用開始)、以降継続

3. 中医学的パターン診断の動態

中医学では「証(シンドローム)」が動的に変化する点を重視します。本症例で捉えられる主要な証の移り変わりは以下の通りです。

フェーズ主症状証の構成
1抑うつ・アパシー心脾両虚+血虚+痰湿停滞
2不眠・心神不安心脾両虚+心火亢盛+痰熱少量
3イライラ・のぼせ肝気鬱結+肝陽上亢+血虚
4倦怠・食欲不振・臥床傾向重度脾気虚+陽気下陥

四診(舌象・脈象・腹診など)から証を立て、変化に応じて処方を最適化することが、BPSDや倦怠感をコントロールする鍵となります。

4. 方剤ベクトルと作用

  1. 当帰芍薬散(補血・活血・健脾・利水):抑うつ・アパシーの標本兼顧
  2. 加味帰脾湯(補心脾・安神益智):不眠・心不安の沈静化
  3. 抑肝散(疏肝解鬱・平肝熄風・補血):肝気過剰によるイライラ・のぼせ鎮静
  4. 補中益気湯(補中益気・升陽举陷):重度脾気虚による倦怠・食欲低下を根本改善

また、加味帰脾湯開始時から併用したガランタミンの認知賦活作用が、漢方の補心安神・補気効果を後押ししたと考えられます。

5. オリジナル処方選択の反省点

  • 初期証立ての曖昧さ:当帰芍薬散単独では「心脾両虚+痰湿」が完全にカバーできず、帰脾湯が本来最適だった可能性。
  • 火熱・痰熱への対応遅延:不眠期に痰熱や心火を迅速に鎮める黄連温胆湯などを組み込むべきだった。
  • 肝陽潜伏の不完全制御:抑肝散単独では潜在的内風まで抑えきれず、柴胡加竜骨牡蛎湯等の潜陽安神処方の併用が望ましかった。
  • 参耆剤投入のタイミング:補中益気湯の投入が最終フェーズに後手となったため、中期以降にも軽参耆剤を段階的に活用し基礎体力を維持すべきだった。
  • 長期シナリオの欠如:初手から「帰脾→温胆→疏肝→補中」の四段階シナリオを想定し、証の移り変わりに合わせた弁証論治が理想的。

6. 臨床的示唆

  • 動的証立ての徹底:単一の処方に固執せず、症状・四診所見に応じて処方ベクトルを柔軟に切り替える。
  • 参耆剤の有効活用:人参を含む補気益血処方は、長期安定化フェーズでこそ真価を発揮。
  • 漢方+西薬併用のメリット:ガランタミンなど西薬と漢方を併用することで、認知機能と心神・体力の両面を包括的にサポート可能。
  • 予後予測と長期戦略:初期から治療全体のシナリオを描き、再発や他症状出現に備えた段階的プランが重要。

まとめ

この症例は、認知症患者のBPSDと重度気虚を含む多彩な症状に対し、漢方薬の「標本兼顧」「随症運用」「升降調整」という中医学的原則をいかに適用するかが問われる好例です。J-Stage報告を踏まえつつ、真の弁証論治を実践することで、患者QOLと介護負担の双方を大きく改善できる可能性があります。

参考文献

  1. 玉野雅裕, 加藤士郎, 岡村麻子, 他. 変動するアルツハイマー型認知症のBPSDに漢方薬が有効であった1症例. 脳神経外科と漢方医学会誌. 2020;6(1):33–38. Available from: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnkm/6/1/6_06/_pdf/-char/ja
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