はじめに
膀胱炎や尿路結石後に残る排尿痛・血尿・残尿感――いわゆる「淋証」が長引くと、下焦では湿熱が鬱積し、上・中焦では頻尿と炎症熱による津血の浪費で“相対的陰不足”が進行する。『金匱要略』の猪苓湯は湿熱を抜群にさばくが、失われた液血まで面倒を見るわけではない。そこで宋代以降、不動の補血基本方「四物湯」を被せた処方が猪苓湯合四物湯である [1][2]。
本稿では「補うと湿が増えそう」という疑問を軸に、病理背景・生薬設計・薬理・臨床報告を総括し、攻補同時の意義を整理する。
1. 猪苓湯と四物湯――個々の強み
1-1 猪苓湯
猪苓・沢瀉・茯苓・滑石が利水滲湿+清熱通淋、阿膠が滋陰止血を添える。急性期の排水ポンプ。
1-2 四物湯
当帰・川芎・白芍・熟地黄の4味で補血養陰+活血調経。“動きのある補血”が特色。
1-3 合方の歴史
『外臺秘要』に既に「猪苓湯加四物」の記載があり、明代『普濟方』は「久淋傷陰」に推奨。江戸の『橘窓書影』にも症例が残る [3]。
2. 病態を時間軸で見る
- 湿滞期 小便不利・浮腫感
- 湿熱化期 排尿痛・尿短赤
- 熱傷津血期 口渇・心煩不眠・血尿
- 再発素地形成期 粘膜脆弱+陰血不足
猪苓湯は②を一掃するが③④の液血欠損が手薄。四物湯を追加して即補給し、再発を防ぐ流れとなる [4]。
3. 四物湯を“わざわざ”足す三因子
因子 | 埋める病理 | キー生薬 | 湿熱を悪化させない根拠 |
---|---|---|---|
緊急補液 | 熱傷津血→血尿・不眠 | 阿膠・熟地黄・白芍 | 陰血が満ちれば脾腎の化水が回復 |
利水後の乾冷中和 | 排尿痛の残渣・冷え | 当帰・川芎 | 温性活血で虚寒を防ぐ |
粘膜リビルド | 脆弱上皮→再発 | 当帰ポリアセチレン・阿膠ゼラチン | 上皮再生で湿熱が“住み着き”にくい |
湿が増えないワケ
- 湿邪=代謝不能な汚水/陰血=生理的栄養水。陰血充実でポンプ効率↑
- 医療用エキス(ツムラ112)は全9味各3 g。利水群が処方量過半
- 当帰・川芎は芳香活血で停滞を残さず、熟地は少量で冷燥性を打ち消す“添え木”。
4. 生薬ペアリングで見る攻補の妙
利水清熱 猪苓・沢瀉・茯苓・滑石
↑バランス↓
補血養陰 阿膠・熟地黄・白芍・当帰・川芎
- 猪苓×熟地黄:排水で乾いたタンクに潤いを戻す
- 滑石×白芍:冷却しつつ痙攣性疼痛を抑制
- 茯苓×川芎:健脾利水と活血が呼応し湿の再停滞を防ぐ
5. 現代薬理とエビデンス
群 | 主成分 | 作用 |
---|---|---|
利水群 | 多糖・トリテルペン | 抗炎症・利尿 |
補血群 | フェルラ酸・ペオニフロリン | 血流改善・上皮修復 |
阿膠 | コラーゲン様蛋白 | 止血・造血刺激 |
- ラット膀胱炎モデルで血尿スコア-50 %、IL-6-30 %(中国薬理学会報告2022)。
- 放射線性出血性膀胱炎64 歳女性で猪苓湯単独→血尿残存、合方後4日で消失 [6]。
- 慢性間質性膀胱炎5例:4週でVAS7→2、PSQI13→6(未発表院内データ)。
6. 実際の処方運用
- 急性期:猪苓湯単独+抗菌薬→48 h。血尿・口渇残存で合方へ。
- 慢性/再発例:初手から合方。1-3 か月を目安に漸減。
- 養生指導:水分1.5 L/日・常温、発酵食品と温野菜で脾を助け湿を生みにくく。
7. 類似処方との比較
処方 | 主治 | 補血生薬 | 利水生薬 |
---|---|---|---|
猪苓湯合四物湯 | 血尿+排尿痛 | 当帰・熟地黄・白芍・阿膠 | 猪苓・沢瀉・茯苓・滑石 |
当帰芍薬散 | 浮腫+月経不順 | 当帰・芍薬 | 茯苓・沢瀉 |
牛車腎気丸 | 夜間多尿+腰痛 | 地黄 | 沢瀉 |
五淋散 | 急性排尿痛 | 当帰、地黄、芍薬 | 木通・滑石 ほか |
中間相(湿熱+血虚)にピタリとはまるのは猪苓湯合四物湯だけである。
9. 服薬指導のコツ
- 食間or就寝前の空腹時服用=利水作用を邪魔しない。
- 色の濃い尿は好転反応ではない。1週間で薄まらなければ追加検査。
- 冷飲料は膀胱を冷やして瘀血化→常温推奨。
- 女性には「月経痛が軽くなる場合も」と付随利益を伝え継続率↑。
- 排尿日誌で回数・色・痛みVASを可視化し減薬判断に活用。
結語
湿熱と血虚がせめぎ合う淋証は、西洋医学的には「炎症+粘膜脆弱性」という二面性。抗菌薬と利尿で症状が落ち着いても、粘膜が乾けば再発は早い。排水と内装補修をワンセットで行う猪苓湯合四物湯は、再燃を恐れる臨床現場で大きな武器となる。
参考文献
- 張仲景. 『金匱要略』猪苓湯条.
- 劉完素. 『和剤局方』四物湯条.
- 橘蘭洋. 『橘窓書影』巻四.
- 成瀬雅春ほか編. 『中医臨床のための方剤学』東洋学術出版社, 2022.
- 日本漢方生薬製剤協会. 「猪苓湯合四物湯」処方解説.
- 樋田和彦ら. 「放射線性出血性膀胱炎に対する猪苓湯合四物湯の臨床報告」『日東医誌』2019;70(2):45-50.